MMT入門:MMTへのよくある批判とその反論
現代貨幣理論(MMT)は、国の財政やお金融の仕組みについて、従来の経済学とは異なる視点を提供することで注目を集めています。一方で、その考え方に対して「非現実的だ」「危険だ」といった批判も多く聞かれます。
なぜMMTは批判されるのでしょうか。そして、それらの批判に対してMMTはどのように答えるのでしょうか。この記事では、MMTに対する代表的な批判とその反論について、初心者の方にも分かりやすく解説していきます。
MMTへのよくある批判とは?
MMTの考え方を聞いた多くの方が疑問に思う点や、批判として挙げられる主なものはいくつかあります。代表的なものとして、以下の3つが挙げられます。
- 「政府がお金を無制限に使ったら、激しいインフレになってしまうのではないか?」 これは、MMTの考え方の核の一つである「自国通貨を発行できる政府には、財源の制約はない」という点に対して、直感的に最も抱かれやすい懸念かもしれません。歴史的に、政府が安易にお金を増発した結果、ハイパーインフレーションが発生した例があるため、このような心配をするのも無理はありません。
- 「国の借金が雪だるま式に増えて、いつか破綻してしまうのではないか?」 MMTは「自国通貨建ての国の借金は問題ない」と考えますが、これも従来の「国の借金は将来世代への負担になる」という考え方と大きく異なるため、受け入れがたいと感じる方が多い点です。国の借金(国債)残高が増え続ける状況を見ると、家計や企業の借金と同じように、いつか返済不能になるのではと不安になるのも自然なことです。
- 「財政規律がなくなり、政府が好き勝手に無駄遣いをするようになるのではないか?」 「財源の制約がない」というMMTの主張は、政府が財政規律を失い、非効率な支出やバラマキが増えるのではないかという懸念につながります。「お金をいくらでも使えるなら、真剣に政策を考えなくなるのでは」という考え方も生まれるかもしれません。
これらの批判は、従来の経済観念に基づけば非常に真っ当な疑問です。では、MMTはこれらの批判に対してどのように答えるのでしょうか。
MMTが考えるそれぞれの批判への反論
MMTは、これらの批判が「自国通貨を発行する政府」という主体を、家計や企業といった「通貨の利用者」と同じように捉えていることから生じると考えます。政府が通貨の発行者であるという視点から見ると、これらの批判は成り立たない、あるいは別の側面が見えてくると主張します。
批判1:「政府支出による激しいインフレ」への反論
MMTは、政府が支出を行うことで経済に供給されるお金の総量が増えること自体は否定しません。しかし、それが即座に激しいインフレにつながるとは考えません。
MMTが考えるインフレの主な原因は、経済の生産能力(人、モノ、サービス、設備など)を超えて需要が増加することにあります。つまり、経済全体で供給できる量には限りがある中で、政府や民間がそれ以上の支出をしようとすることで、物不足や人手不足が起こり、モノやサービスの価格が上昇する、というのがインフレのメカニズムです。
これをイメージしてみましょう。 例えば、ある地域に大工さんが10人しかいないとします。この大工さんが建てられる家の数には上限があります。ここで、政府が「すべての家に耐震補強を!」と補助金を出し、民間からも「新しい家を建てたい!」という需要が殺到したとします。需要に対して大工さんの数が圧倒的に足りなくなると、大工さんの工賃は上がり、材料費も高騰し、家の価格は跳ね上がります。これが、供給能力を超えた需要によるインフレです。
MMTは、政府がお金を使える限界は「財源」ではなく、この「経済の生産能力や資源の制約」にあると主張します。政府支出がこの制約を超えない限り、お金が増えることだけでは持続的なインフレにはならない、と考えます。
そして、インフレの兆候が見られた場合には、政府は支出を抑えたり、税金を増やしたりすることで、経済からお金(需要)を吸収し、インフレを抑制することができると考えます。税金は「政府の財源」ではなく、「経済全体の需要を調整する手段」として機能するのです。
批判2:「国の借金による国家破綻」への反論
MMTは、自国通貨建ての債務を持つ政府は、技術的にはデフォルト(債務不履行)することはないと主張します。その理由は、政府自身がその通貨の発行者だからです。
家計や企業は、自分ではお金を発行できません。そのため、借金返済のために十分なお金が手元になければ、破綻する可能性があります。しかし、自国通貨を発行できる政府は、必要であればその通貨を「創造」して、債務を返済することができます。これは、お金を刷る、というイメージに近いかもしれません。ただし、実際に紙幣を大量に刷るのではなく、現代では主に政府の日本銀行当座預金の残高を増やす(信用創造を行う)ことで行われます。
図解をイメージすると、政府の支出によって、政府の銀行口座(日銀当座預金)から民間銀行の口座(日銀当座預金)へ数字が移動し、同時に民間の銀行預金が増えます。この過程で「新しいお金」が生まれます。国債の償還も、このお金を生み出すプロセスで行われます。政府は通貨発行者として、技術的に自国通貨建て債務の支払いを拒否することはありえない、とMMTは考えます。
したがって、自国通貨建ての借金がいくら増えても、支払い能力の問題で破綻することはない、というのがMMTの立場です。問題があるとすれば、前述のインフレの制約や、海外からの輸入に依存している場合の制約など、実体経済上の問題であると考えます。
批判3:「財政規律の喪失と無駄遣い」への反論
MMTは、財政規律を否定するのではなく、その目的を再定義します。従来の財政規律は「財政収支の均衡」や「国の借金を増やさない」ことを目指す傾向がありましたが、MMTは財政の目的を「完全雇用」「物価の安定」「環境保護」といった実体経済の目標達成に置くべきだと考えます。これを「機能的財政論」と呼びます。
つまり、財政は赤字か黒字か、借金が多いか少ないか、といった形式的なバランスではなく、「経済が健全に機能しているか」「人々に仕事があり、物価が安定しているか」といった実質的な目標を達成するために機動的に運用されるべきだ、というのがMMTの考え方です。
財源の制約がないからといって、政府が何でも好きなように支出して良い、無駄遣いを推奨する、ということではありません。MMTは、政府支出の目的は公共の利益の増進にあるべきだと考えます。無駄遣いは、財源の有無に関わらず避けるべき非効率な政策運営の問題であり、「財源がないから無駄遣いするな」ではなく、「公共の利益にならない無駄遣いはやめよう」という議論になるべきだと主張します。
MMTが提唱する「就業保証プログラム」などは、まさに財源の制約を気にせず、失業問題を解決し、同時に公共サービスやインフラ整備、環境対策など公共の利益につながる活動を行うための具体的な政策提案であり、単なるバラマキとは異なる考え方に基づいています。
まとめ:批判を通して理解するMMTの核心
MMTに対するこれらの批判は、従来の経済学や私たちが日常的に経験する家計の感覚からすると、もっともなものです。しかし、MMTは「自国通貨発行者」という政府の特別な立場に注目することで、これらの批判に対する独自の反論を展開します。
- インフレの本当の原因は供給能力の制約であり、貨幣発行量ではない。
- 自国通貨建ての国の借金は技術的には破綻しない。
- 財政は実体経済の目標達成のために機能的に運用されるべきであり、形式的な財政バランスではない。
MMTは、これらの批判に対して答えることで、経済の本当の制約は「財源(お金)」ではなく、「人、モノ、設備などの実体経済上の資源」であるという核心的な考え方を明確にしています。
MMTを理解することは、これらの批判とそれに対するMMTの反論を比較検討することでも深まります。この記事が、MMTに関する様々な議論を理解するための一助となれば幸いです。