国の借金はGDPの何倍まで大丈夫? MMTが考える「債務残高」の捉え方
ニュースでよく聞く「債務残高GDP比」とは
経済ニュースや国の財政に関する議論で、「国の借金がGDPの〇〇%に達した」といった話を聞くことがあるかと思います。この「債務残高GDP比」という指標は、国の財政の健全性を示すものとして、しばしば注目されています。
一般的に、この比率が高いと、「国の財政が厳しい」「将来世代に負担をかける」といった懸念が表明されることが多いようです。まるで、家計の借金が年収の何倍にも膨らんだら大変なことになる、というイメージに近いかもしれません。
では、現代貨幣理論(MMT)では、この国の借金(債務残高)とGDPの比率について、どのように考えているのでしょうか。従来の経済観念とは異なるMMTの視点を見ていきましょう。
MMTが考える「主権通貨国」の債務
まず、MMTの出発点となる重要な考え方をおさらいします。それは、日本のように自国で通貨を発行し、その通貨建てで借金をしている国(主権通貨国)は、家計や企業とは根本的に異なるということです。
家計や企業は、自分でお金を「稼ぐ」か「借りる」必要があります。稼ぎや借入能力に限界があれば、当然、使えるお金には制約がありますし、借金が増えすぎれば返済ができなくなるリスク(デフォルト)もあります。
しかし、主権通貨国である日本政府は、自国通貨である円を「発行」することができます。税金などで円を集めなくても、必要に応じて円を供給する能力を持っています。これは、自国通貨建ての債務であれば、技術的に返済不能に陥ることはない、ということを意味します。
図にすると、家計は「収入<支出」だと貯蓄が減ったり借金が増えたりしますが、政府(ここでは通貨発行権を持つ政府を指します)は必要に応じて通貨を発行して支出できるイメージです。これは比喩ではなく、現代の通貨制度における政府と中央銀行の関係性に基づいた考え方です。
国の借金(国債)は「貨幣供給量の一部」と捉える
MMTでは、政府が発行する借金、つまり国債は、民間の貯蓄したいというニーズに応える金融商品であると同時に、広い意味での貨幣供給量の一部として捉えられます。
政府が財政支出を行う際、たとえば公共事業で企業にお金を支払うとします。この時、政府はその支出に必要な円を新しく供給します。この円は受け取った企業の銀行口座に預金として入ります。
一方、政府が国債を発行してこの支出の資金を調達する(厳密には支出後に中央銀行当座預金残高を調整する意味合いが強いですが)と、民間銀行や投資家はその国債を購入します。国債は安全な資産とみなされ、企業や家計、金融機関が保有する「政府の負債」となります。しかし、これは同時に、国債を保有する側から見れば「政府に対する資産」となります。
政府の負債は、民間の資産。これは一方の会計上の負債が、もう一方の会計上の資産として記録される、ごく基本的な会計の仕組みです。政府の借金が増えるということは、民間部門(家計や企業)の金融資産が増えることと同義であるとMMTは考えます。
このように考えると、国の借金が家計の借金のように、将来の生活を脅かす「負担」であるというイメージとはかなり異なります。むしろ、民間が保有する金融資産の一形態として捉えるのです。
MMTが「債務残高GDP比」を重視しない理由
では、なぜMMTはこの「債務残高GDP比」を、従来の経済学ほどには重視しないのでしょうか。
その理由はいくつかあります。
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フローとストックの比較であること: GDPは「国内総生産」の略で、一定期間(通常は1年間)に国内で生み出された付加価値の合計です。これは「フロー」の量、つまり流れるお金の量や生産の量を表します。 一方、債務残高は、ある特定の時点(たとえば年末)における借金の総額です。これは「ストック」の量、つまり積み上がった残高を表します。 フローであるGDPと、ストックである債務残高の比率だけを見ても、国の経済の全体像や、特に「支払い能力」についてはあまり多くを語らない、というのがMMTの考え方です。
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主権通貨国に支払い能力の制約はないこと: 先述の通り、自国通貨建ての債務について、主権通貨国には技術的な支払い能力の制約がありません。したがって、債務残高がいくらになろうと、政府が必要な円を供給できないということは理論上ありえません。重要なのは、その支出が経済にどのような影響を与えるか、特にインフレを引き起こさないか、という点です。
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重要なのは「実物資源の制約」: MMTが政府支出の本当の制約として重視するのは、債務残高のような金融的な数値ではなく、「実物資源の制約」です。これは、経済全体に人手や設備、原材料などが十分にあり、それらを政府が支出を通じて使えるかどうか、ということです。 たとえば、建設ラッシュで建設作業員が不足している時に、政府が大規模な公共事業を行おうとしても、実際に工事を請け負う人手がいなければ事業は進みません。あるいは、無理に進めようとすれば、限られた人手を奪い合うことになり、建設作業員の賃金が急騰し、それが物価上昇につながる(インフレ)可能性があります。 MMTが考える政府支出の限界は、この実物資源の供給能力や、それによって引き起こされるインフレ率なのです。
債務残高GDP比がたとえ高水準であっても、それが直ちにインフレを引き起こすわけではありませんし、政府の支払い能力を問題にするものでもありません。比率そのものが財政の健全性や持続可能性を直接示す決定的な指標ではない、とMMTは考えます。
まとめ:MMTが債務残高から見るべきもの
MMTの視点に立つと、国の債務残高そのものや、そのGDPに対する比率は、それ自体を減らすことを目的とするべき指標ではありません。
重要なのは、政府の財政運営が、経済全体の実物資源をどれだけ有効活用できているか、そしてそれが過度なインフレを引き起こしていないか、という点です。債務残高は、政府が供給した貨幣が民間部門にどれだけ蓄積されているかを示す指標の一つとして捉える方が、MMTの考え方には合っています。
つまり、MMTが「債務残高」を見る際に注目するのは、その水準そのものではなく、「その支出が経済全体にどのような影響を与え、実物資源の制約やインフレの兆候が現れていないか」という点なのです。家計の借金とは全く性質が異なる国の借金について、GDP比という数字だけに捉われず、MMTの示す「本当の制約」に目を向けることが重要だと言えるでしょう。