MMT入門:国の借金はあなたの貯金に影響しない? MMTの視点
はじめに:国の借金が増えると、私たちの貯金は危なくなる?
経済ニュースなどで、国の借金が過去最大を更新した、といった報道を見聞きする機会は多いと思います。そういった報道に触れると、「このまま借金が増え続けると、将来自分たちの貯金が危なくなるのではないか」「国が破綻して、銀行預金が引き出せなくなるのではないか」といった不安を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
国の財政状況と、個人の家計や貯金がどのように関係しているのか、直感的には分かりにくい点も多いかと思います。現代貨幣理論(MMT)は、この点について従来の経済学とは異なる視点を提供しています。
ここでは、MMTの基本的な考え方を踏まえつつ、なぜ国の借金が私たちの貯金や資産形成に直接的な悪影響を与えないとMMTが考えるのかを、分かりやすく解説していきます。
国のお金と個人のお金、その根本的な違い
まず、MMTの視点から見て最も重要な点は、国(特に自国通貨を発行できる政府)と私たち個人では、「お金」の性質に対する立場が根本的に違うということです。
私たちは、働いて給料を得たり、物を売ったりして、既存のお金を「稼ぐ」ことで手に入れます。そして、稼いだお金を「使う」ことで生活し、「貯める」ことで将来に備えます。私たちにとってお金は、最初に手に入れなければ使うことができないものです。
一方、自国通貨を発行できる政府は、私たちがお金を「稼ぐ」のとは異なる方法でお金を生み出します。政府が支出を行うとき、例えば公共事業のために建設会社に代金を支払う場合、政府は単に国庫にあるお金を使っているわけではありません。政府が支出を決定すると、その金額が建設会社の銀行口座に振り込まれます。このとき、あたかも「新しいお金」が銀行システムの中に発生するかのようなプロセスが起こります。
これをより正確に言うと、政府が支出を行うと、まず政府の中央銀行(日本であれば日本銀行)にある政府の口座から資金が減少し、それと同時に、支出を受け取った民間部門(建設会社など)が取引している市中銀行の口座、そして市中銀行が日銀に持つ当座預金(準備預金)が増加します。政府は、税金を集める前に支出を行うことが制度的に可能です。
この仕組みを図にすると、以下のような流れがイメージできます。
- 政府がA社に100万円の支出を決定
- 政府は日銀にある自身の口座から100万円を支出(日銀当座預金の政府口座が減少)
- 同時に、A社が取引するB銀行の口座に100万円が入金される(A社の預金口座が増加)
- そして、B銀行が日銀に持つ当座預金(準備預金)も100万円増加する
つまり、政府は自らが会計単位である「円」を創造し、支出を通じて経済に供給することができるのです。私たちは「円」の利用者ですが、政府は「円」の発行者としての側面を持っています。
国の借金(国債)はなぜ私たちの貯金とは違うのか
私たちが借金をする場合、それは将来稼ぐであろうお金や、すでに持っている資産(家など)を担保にして、誰か(銀行など)から「既存のお金」を借りる行為です。返済できなければ、資産を失ったり、信用を失ったりします。
国の借金である国債は、これとは性質が異なります。国債は、自国通貨を発行できる政府が、自ら発行した通貨建てで資金を調達する手段です。国債を購入するのは、主に国内の金融機関(銀行、保険会社など)や個人、日本銀行などです。
これらの国債購入者は、政府が支出を通じて経済に供給した「円」を使って国債を購入します。つまり、国債とは、政府が供給した円を、一時的に政府に戻してもらう(または、政府が将来供給する円で償還を約束する)手段とも考えられます。
MMTでは、「国の借金」は、厳密には「政府の負債」であると同時に「民間部門(家計や企業、銀行など)の資産」であると捉えます。政府が国債を発行し、民間がそれを購入するという行為は、政府の負債が増える一方で、民間が持つ国債という資産が増えることを意味します。
経済全体の視点で見ると、「政府部門の収支 + 民間部門の収支 + 海外部門の収支 = ゼロ」という恒等式が成り立ちます。もし政府が赤字(支出>税収)になれば、その分、民間部門か海外部門のどちらか(あるいは両方)が黒字になることになります。特に、海外との取引が均衡していると仮定すれば、「政府の赤字は民間の黒字」となります。政府が支出を増やして経済に通貨を供給し、その一部を国債として吸収するというプロセスは、民間部門に資産(国債や銀行預金)を供給することにつながるのです。
これを私たちの貯金や資産形成という観点から見ると、国の借金が増えることは、私たちの銀行預金や、私たちが間接的・直接的に保有する国債などの資産が増えるプロセスと連動していると考えることができます。つまり、国の借金が増えることが、そのまま私たちの貯金を減らしたり、危なくしたりする直接的な原因にはならない、というのがMMTの考え方です。
国の借金は「返済」の必要がない? MMTの考え方
家計の借金は、いつか必ず返済しなければなりません。しかし、自国通貨を発行できる政府の借金(国債)は、少し性質が異なります。
政府は、満期が来た国債の保有者に対して、新たな国債を発行して資金を調達し、その資金で満期国債を償還するということができます(これを借り換えといいます)。あるいは、日本銀行が国債を買い取ることでも資金を供給できます。これは、政府が自国通貨の発行者であるため、理論上は通貨が不足して借り換えや償還ができなくなるという事態は起きないからです。
もちろん、これは「返済しなくても良い」という意味ではありません。約束された期日に、国債保有者に対して円で支払いは行われます。しかし、その支払いのための資金は、税金からだけ賄われるのではなく、必要であれば(インフレにならない範囲で)政府が新たな支出を行うことで、あるいは日銀の操作によって供給されるという視点を持つのがMMTです。
したがって、政府の借金が雪だるま式に増えて、最終的に政府が破綻し、それによって私たちの銀行預金が失われる、といった家計の破綻をイメージしたシナリオは、自国通貨建て債務を持つ政府には当てはまらないとMMTは考えます。
では、国の財政に「制約」はないのか?
政府は無限にお金を使えるわけではありません。MMTが考える政府支出の本当の制約は「財源(税金)」ではなく「インフレ」と「利用可能な資源」です。
政府が過剰な支出を行うと、経済全体の需要が供給能力を超えてしまい、物価が継続的に上昇するインフレーションを引き起こす可能性があります。インフレが進みすぎると、私たちの購買力が低下し、貯金の実質的な価値が目減りしてしまいます。つまり、国の財政が私たちの資産形成に悪影響を与える可能性があるとすれば、それは「国の借金そのもの」ではなく、「国の支出が引き起こす過度なインフレ」という形であるとMMTは指摘します。
また、お金があっても、現実のモノやサービス、労働力といった「資源」がなければ、政府は望む政策を実行できません。例えば、橋を建設するためには、セメント、鉄鋼、建設機械、そして労働者が必要です。これらの資源が全て他の用途に使われていて不足している状況で、政府がお金を支出しても、橋を建てることはできませんし、資源の奪い合いによって物価が高騰するだけかもしれません。
まとめ:国の財政と個人の資産形成を区別する
MMTの視点から見ると、国の財政と私たちの家計や資産形成は、根本的に異なる仕組みに基づいています。
- 国(自国通貨発行政府): 通貨の発行者。支出を通じて経済に通貨を供給し、税金は通貨を回収する(経済活動を調整する)役割を持つ。国の借金(国債)は、民間部門の資産の裏付けであり、家計の借金とは性質が異なる。破綻の懸念は、自国通貨建て債務である限り、通貨不足ではなくインフレによって生じる。
- 私たち個人: 通貨の利用者。稼いだお金を使い、貯める。貯金や投資は、私たちの努力や経済活動の成果であり、国の借金によって直接的に失われるものではない。資産価値を脅かす可能性があるのは、過度なインフレなど、経済全体の状況変化。
したがって、国の借金が増えていること自体を過度に心配し、それが直接的にあなたの貯金や将来の資産形成を危うくすると考える必要はありません。MMTは、政府が持つ通貨発行権限を理解し、財政政策の真の制約(インフレや資源)を認識することで、より適切な経済運営が可能になると主張しています。
もちろん、インフレの可能性など、注意すべき点は存在します。国の財政を考える際には、「家計のお財布」のようなイメージから一度離れて、通貨の発行者としての政府の役割を理解することが、MMTを理解する上で非常に重要になります。