MMT入門:「健全財政」って本当に必要? MMTが疑問を呈する理由
はじめに:なぜ「健全財政」が重要視されるのか
テレビやニュースなどで、国の財政赤字や借金が問題だという話を聞く機会は多いかと思います。「家計と同じように、国もお金は貯めて使うべき」「借金は将来世代への負担になる」「プライマリーバランス(国の収入と支出の差額のうち、過去の借金の返済や利払いに充てる分を除いたもの)を黒字化しなければならない」といった意見もよく耳にします。
これらはまとめて「健全財政」を目指すべきだという考え方に基づいています。多くの人にとって、「健全財政」は当たり前で、良いことだと認識されているでしょう。しかし、現代貨幣理論(MMT)は、この「健全財政」という考え方、特に自国通貨を発行できる政府にとって、その必要性や意味合いが従来とは大きく異なると指摘します。
この記事では、MMTの視点から見て、「健全財政」がなぜ常に最優先されるべき目標ではないとされるのか、その理由を分かりやすく解説していきます。
一般的な「健全財政論」の考え方
まず、私たちが普段「健全財政」と聞いて思い浮かべるのは、どのような状態でしょうか。多くの場合、以下のようなイメージに基づいていると考えられます。
- 家計に例える: 国の財政を、私たち個人の家計や企業のお財布と似たものだと考えます。収入(税金など)の範囲内で支出を抑え、借金は極力減らすべきだ、という考え方です。
- 借金は悪: 借金は返済が必要であり、増えすぎると破綻につながるため、できるだけ少ない方が良いと考えます。国の借金(国債)も同様に捉えられます。
- 将来世代への負担: 現在の財政赤字や借金は、将来世代が税金で返済しなければならないため、将来世代に負担を押し付けるものだと考えられます。
- プライマリーバランス黒字化: 国の借金を増やさない(または減らす)ために、最低でも政策的な支出を税収などの収入で賄うべきだ、という目標が設定されます。
これらの考え方は、私たち自身の経験や常識に照らし合わせると、非常に納得しやすいものです。しかし、MMTはこの考え方に対して、自国通貨を発行できる政府の場合には当てはまらない点が多いと指摘します。
MMTが「健全財政」に疑問を呈する理由
MMTは、「健全財政」という言葉が持つ、家計や企業の財政と同じようなイメージが、自国通貨を発行する政府には当てはまらないこと、そしてその目的設定が適切ではない場合があることを指摘します。主な理由は以下の通りです。
理由1:政府と家計・企業は根本的に違う
MMTの最も基本的な考え方の一つは、自国通貨を発行する政府は、その通貨を使う家計や企業とはお金の仕組みが全く異なるという点です。
私たち家計や企業は、まず収入を得るか、誰かから借金をするかしないと、お金を使うことができません。お金を使う前に、お金を手に入れる必要があります。つまり、使うためにお金を調達する必要があります。
しかし、自国通貨を発行できる政府は、お金を使うときに、私たちのように誰かから借りたり、貯めたりする必要がありません。政府は支出をする際に、自らの通貨をゼロから「発行」することができます。具体的には、政府が支出を決定すると、中央銀行(日本では日本銀行)のシステム上で、支払い先の銀行にある政府の口座(正確には日銀当座預金)が減り、相手の銀行にある日銀当座預金が増えます。そして、その相手の銀行が増えた日銀当座預金に対応して、相手の個人や企業の銀行預金が増えるのです。
(この仕組みをイメージすると、政府がお金を使う過程で、私たちのお金(預金)が生まれているように見えます。これは、既存の記事「MMT入門:政府がお金を使うとどうなる? 貨幣が生まれる仕組み」や「MMT入門:政府がお金を使うとき、あなたの銀行預金はどうなる?」などで詳しく解説されています。)
つまり、自国通貨を発行する政府は、支出のために事前の「財源」を必要としないのです。必要なのは、支出を行うという「意思決定」と、それを可能にする「法的な権限」です。家計や企業のように、収入が支出の上限を決めるわけではありません。
理由2:税金は「財源」ではない
一般的な「健全財政論」では、税金は政府の支出のための「財源」だと考えられています。税収が足りなければ借金が増える、だから税収を増やすか支出を減らす必要がある、という論理です。
しかし、MMTは税金の役割を全く異なって考えます。MMTの視点では、税金は政府が支出をするための「財源」ではありません。前述のように、政府は支出をする際に通貨を発行します。税金は、政府が発行した通貨を経済から「回収」する手段です。
税金の最も重要な役割は、政府が発行した通貨に「価値」を持たせることです。政府が「この通貨で税金を払わなければならない」と義務付けることで、人々はその通貨を手に入れようと働き、経済活動が活発になります。また、税金は経済全体の需要を調整し、インフレを抑制する重要なツールでもあります。政府が支出を増やしすぎると経済が過熱してインフレになる可能性がありますが、税金を引き上げることで民間から通貨を吸収し、経済活動を抑制して物価上昇を抑える効果があるのです。
(税金の役割については、既存の記事「MMT入門:なぜ税金は「財源」ではないのか? MMTが考える税金の本当の役割」で詳しく解説されています。)
税金が財源ではないとすれば、「税収で支出を賄う」という「健全財政」の考え方の根拠の一つが揺らぎます。
理由3:財政赤字は常に悪いわけではない
家計や企業にとって、赤字が続けば破綻につながる可能性があります。しかし、MMTは自国通貨を発行する政府の財政赤字は、それ自体が悪いわけではないと指摘します。
MMTの考え方では、政府の赤字は、民間の黒字の裏返しとなることがあります。これは、経済全体の資金の動きをマクロ経済の恒等式で見ると明らかになります。(詳細については、既存の記事「MMT入門:政府の赤字は民間の黒字? MMTが説く経済の恒等式」を参照してください。)
政府が支出を増やし、税金で回収する以上に通貨を供給すると、その通貨は民間の預金や貯蓄として蓄えられます。つまり、政府の「赤字」は、私たち個人や企業の「黒字(貯蓄)」になっている側面があるのです。デフレや不況で民間の支出が不足している時には、政府が意図的に赤字を出すことで、民間の所得や貯蓄を増やし、経済を下支えすることが重要だとMMTは考えます。
理由4:本当の制約は「財源」ではなく「資源」と「インフレ」
「健全財政論」では、政府支出の制約は「財源」、つまり税収や借金の限界だと考えがちです。しかしMMTは、自国通貨を発行できる政府にとっての本当の制約は、お金そのものではなく、利用できるヒト、モノ、サービスといった「実体資源」が十分にあるか、そしてそれらを使い切ろうとすることによる「インフレ」のリスクだと考えます。
政府がお金を使おうとしても、それに必要な労働力や原材料、設備などが既に最大限に活用されている状態(完全雇用やそれに近い状態)であれば、それ以上の支出は単に物価を押し上げるだけで、実体的な生産量を増やすことにはつながりません。これがインフレという制約です。
逆に言えば、失業者がたくさんいたり、使われていない工場や技術があったりする(資源に余裕がある)状況であれば、政府が支出を増やしても、インフレを招くことなく経済を活性化し、より多くの人々が働き、より多くのモノやサービスを生み出すことができると考えます。
(この「資源の制約」と「インフレ」については、既存の記事「MMT入門:政府がお金を使える本当の限界? 「資源の制約」とは」や「MMT入門:インフレはなぜ起きる? MMTが考える物価上昇のメカニズム」で詳しく解説されています。)
MMTの視点では、政府の財政の目的は、「家計のように収支を均衡させること」ではなく、「実体経済の状況を見ながら、インフレにならない範囲で、利用可能な資源を最大限に活用し、完全雇用や公共の目的を達成すること」にあるべきだ、と考えます。これを「機能的財政論」と呼びます。
(機能的財政論については、既存の記事「MMT入門:財政の目的はバランスじゃない? 「機能的財政論」とは」で解説されています。)
MMTが考える「良い財政」とは
MMTは「健全財政」という言葉を使いませんが、政府の財政が「良い状態」であるためには、どのような点が重要だと考えるのでしょうか。それは、以下のような状態を目指すことです。
- インフレの抑制: 経済が過熱し、インフレ率が高くなりすぎることを防ぐこと。これが、自国通貨を発行できる政府にとっての最も重要な財政運営上の制約です。
- 完全雇用の達成: 働きたい人が皆、仕事に就ける状態を目指すこと。経済が持つ潜在能力を最大限に引き出すことです。
- 公共の目的達成: 教育、医療、インフラ、環境対策など、市場だけに任せては十分に達成できない公共的な目的のために必要な支出を行うこと。
これらの目的を達成するために、政府は支出や税金を機動的に調整すべきだと考えます。たとえ一時的に財政赤字が拡大したとしても、それがインフレを引き起こさず、完全雇用や公共の利益につながるのであれば、それは「不健全」な財政ではなく、むしろ「機能している」財政だという見方になります。
これを図でイメージすると、従来の「健全財政論」が「収入と支出の均衡」というバランスシート的な視点を重視するのに対し、MMTは「経済活動に必要な資金供給と回収」「資源の活用度」「物価の安定」といった経済全体の循環と状態を重視する、フロー的な視点に近いと言えます。
まとめ:「健全財政」という言葉に囚われない視点
この記事では、一般的な「健全財政」という考え方と、MMTがそれに疑問を呈する理由について見てきました。
- 多くの人が考える「健全財政」は、家計や企業の財政に例えられ、収入の範囲での支出や借金の抑制が重視されます。
- しかしMMTは、自国通貨を発行できる政府は支出のために事前の「財源」を必要とせず、税金も財源ではなく、インフレ抑制や需要調整などの役割を果たすと考えます。
- 政府の財政赤字は、民間の黒字の裏返しとなる側面があり、常に悪いわけではありません。
- 自国通貨を発行できる政府にとっての本当の制約は、お金の量ではなく、実体経済の資源の限界と、それによって引き起こされるインフレです。
- MMTが考える「良い財政」とは、「インフレにならない範囲で、利用可能な資源を最大限に活用し、完全雇用や公共の目的を達成すること」です。
このように、MMTの視点を取り入れることで、「健全財政」という言葉が持つ従来のイメージが変わり、政府の財政のあり方や、経済ニュースで語られる財政問題の見方が大きく変わるかもしれません。大切なのは、「健全財政」という言葉のイメージに囚われず、自国通貨を発行できる政府の財政の仕組みと、経済全体に与える影響を、実体経済やインフレという観点から考えることと言えるでしょう。
※この記事はMMTの基本的な考え方を紹介するものであり、特定の政策を推奨するものではありません。経済理論には様々な見解があることをご理解ください。